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トピックス by村本邦子

2010.06.24
2010年6月 撫順の奇跡〜人道主義に基づく加害兵の修復モデル

 敗戦後、中華人民共和国が建国された翌年の1950年、5年間にわたる過酷なシベリア抑留に続き、969人の日本人が中国戦犯として中国に引き渡され、撫順(中国遼寧省)にある戦犯管理所に拘禁された。戦犯たちは厳罰を覚悟していたが、そこには、周恩来の「戦犯とても人間である。その人格を尊重せよ」「ひとりの死者も出してはならない」という人道主義政策に基づき、強制労働がないばかりか、食事、運動、文化、学習などあらゆる面での保障があった。そこで6年の歳月をかけて反省と謝罪を行う機会が与えられ、1956年から軍事法廷が始まった。45名の受刑者を除く収容者は起訴を免除され、1956年に帰国した。死刑はゼロだった。最後の受刑者も1964年には帰国している。

 帰国後、彼らは、1957年に中帰連(中国帰還者連絡会)を結成し、証言活動を行ってきた。2000年に公開された証言映画「日本鬼子(リーベンクイズ)」や国際女性戦犯法廷で、私も彼らの証言を聞いたが、自らが犯した残虐な犯罪を告白し、懺悔するという行為がどれほど困難であるかは想像に難くない。DVやセクハラなどの加害者修復に関わるなかで、悪にはある一線を越えると引き戻せないラインがあって、あとはただただ自分のしたことを正当化するほかないという印象を持っている。戦時中、日本軍の兵士たちは、イニシエーションとして、まずは生きた人を殺すという行為が強いられたが、この一線を強制的に越えさせることによって、「鬼子」として突き進むしかない状態が作り出されたのだと考えている。中帰連の人たちは、一線を越えた後で、引き返そうと努力し続けた人たちである。なぜ、このようなことが可能だったのか。

 半世紀を経て、中帰連のメンバーは高齢化し、その多くが亡くなっていくなかで、2002年、中帰連は解散、その精神から学び、未来へつなげようとする若い世代が「撫順の奇跡を受け継ぐ会」を発足させ、全国で活動を続けている。撫順戦犯管理所は、今年の6月20日にリニューアル・オープンされ、「受け継ぐ会」によってツアーが企画された。残念ながら私は行くことができなかったが、参加した小田博志さん(北海道大学)を研究会に招き、話を聞く機会を得た。

 小田さんは文化人類学者で、これまでおもにドイツにおける市民レベルの和解について研究してきた人だが、彼に言わせれば、このように加害兵が自ら罪を告白し、悔い改めるという前例は世界でも稀ではないかという。ドイツは戦犯を時効なく処罰するという方針を取ったため、加害兵が罪を告白することは難しかった。南アフリカの真実和解委員会では、加害者が事実を供述すれば恩赦するという方針を取ったため、罪の告白はなされたが、心理的次元での変化は起こらなかったのではないか。アメリカの元米海兵隊員アラン・ネルソンさんは例外だが、個別例はあったとしても、このように大規模に反省が行われたのは他に例を見ないのではないかという。

 しかも、撫順戦犯管理所では、管理所職員たちと収容者たちとの間に深い友情が生まれている。職員たちは、自分たちの肉親や友人たちを日本軍の兵士に殺され、当然ながら、最初は憎しみと復讐心でいっぱいだったが、「あと二十年したらわかる」という周恩来に説得され、戦犯を人道的に扱うという苦しい努力を続けた。たとえば、自分の担当する戦犯が自分の父親を目前で虐殺した仇だったことを知ったある若い職員は、悩んだ挙句、転勤希望を出すが、「今、君が日本人たちを見捨てるなら、彼らはきっとまた新たな侵略者を続く世代に生み出すに違いない。これでは、第二、第三の君の父を失うことになる」と説得され、仇を援助し続けた。そして、彼らは、「あと二十年したらわかる」という予言が正しかったことを知るのである。四半世紀を過ぎた1984年になってようやく再会がかなった時、彼らは、熱烈に抱き合い、涙を流して喜び合ったという。まさに奇跡である。

 「殺人をするには、相手の人間性を否定し、自分の人間性をも捨てていかなければならない。殺した相手がモノではなく人だったことを理解していくプロセスこそ、自分の人間性を回復することに他ならない」と小田さんは言っていた。なるほどそうだ。そして、人間性を取り戻していくには、自分自身が人間として扱われなければならない。加害者の修復は加害者だけで成しえないのではないか。戦犯管理所の人道主義は、それまで日本軍によって人間性を否定されてきたあり方を根底から修復しようとするものだった。ふと、人間性を否定されたまま帰国し、過去にふたをして働き続けた多くの日本人男性たちは、その後、いったいどのような人生を送ったのかという疑問がよぎる。

 撫順で起こった奇跡を人類の遺産として受け継ぎ、普遍化していかなければならないのではないかということを確認しあって、研究会を終えた。いつか撫順へも行ってみたい。

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