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トピックス by村本邦子

2013.10.31
2013年10月 台湾におけるアートセラピー

 今月は台湾へ行ってきた。以前、中国蘇州での国際表現性心理学会のことを書いたが(2011年8月アートセラピーと文化 )、そこでシンポジストとしてご一緒した台湾の頼念華先生より、是非、台湾でも南京の話をしてほしいと言われていたものだ。その時は、日本の精神医療や臨床心理のなかで生まれた「芸術療法」と、アメリカのクリエイティブ・アーツ・セラピーとの違いに触れ、心理療法と芸術のどちらをより包括的な概念と捉えるかと書いた。でも、今回よくわかったのは、本来のアートセラピーでは、心理療法と芸術を対等に統合するものなのだということである。ニューヨーク大学のイクコ・アコスト先生の講義を受けたが、私たち(つまりは臨床心理から浮かれた芸術療法をやってきた者)に欠けているのは、アートの理論である。

 頼先生のアートセラピーのワークショップを受けた体験についても書いたことがあるが(2013年1月アートの力)、たとえば画材の性質、技法などについての専門知識に基づいて、アートに馴染みのない人々でも気遅れすることなく、一歩一歩進んでいけば、いつのまにかアート自体が持つセラピューティックな力の恩恵を被ることができるような構造を準備することである。それで思い出したが、よく一緒に仕事をしているサンフランシスコのアート・セラピスト笠井綾さんに教えてもらって、東北のプロジェクトでも使ってみようと思っているものに、「タッチ・ドローイング」という手法がある。これなど、まさに、このように工夫され開発された手法だと思う。絵具を置いて、適当に指を動かしていると(リラックスして解放されていればいるほどよいと思う)、偶然性と必然性が相まって何かが生まれ、そうやって生まれてきたものに語りかけられるようにして、変容が起こっていく。

 さて、南京の話だが、長く植民地支配してきた台湾でなぜ南京の話なのかと葛藤を抱えながらも、頼先生が台湾の人たちに聞かせたいと招いてくださったとすれば、それには意味があるのだろうと思った。私の父は台湾で生まれている。今回、計算してみて初めて認識したが、父の生まれたのは、ちょうど日中戦争がはじまった年である。祖父は父が幼い頃に病死しているので、私自身は知らないのだが、その時代、支配者側の人間としてこの地にいたということが意味するものをあらためて考えた。東京大空襲の被害者としての母から始め、植民地支配の側の祖父と父について触れたうえで、南京での取り組みを紹介した。錯綜した文脈だが、現実とはそういうものだ。次のステップは、アートやドラマを使いながらHWH (2012年5月「私」のなかの他者・社会・歴史と出会う )でやってきたことを、学校教育や平和教育に入れていくことだと思っていると言ったら、「台湾でもそれに対応することをやりたい、是非一緒にやっていきましょう」という熱いラブコールがやってきた。頼先生の影響だろう、台湾のアート・セラピストたちは、とても活発のようだ。

 私にとっては特別な意味を持つ台湾の人たちに暖かく迎え入れてもらったことも嬉しかったし、今回、台湾、中国、アメリカでそれぞれに活躍しているパワフルで魅力的な女性セラピストたちと一緒に仕事できたこともとても力になった。アートは言葉の壁を越えるし、一緒に食べたり笑ったりしながら、女たちの力と連帯を感じる。そして、歴史に根付く作業を重ねるなかで、アジアの一員であることがとても心地よい私がいる。

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